Aサイド.5
 俺はエリートだ。
 九帝大を首席で卒業し、高級官僚への道をあえて選ばず、急成長を続ける一級企業キザキコーポレーションに入社した。
 入社五年目、所属する株式営業部内ではトップの成績を上げている。
 周りは馬鹿ばっかりだ。
 優秀な人材が多いと聞いて入社したキザキだが、俺に並ぶものは他にいない。
 新入社員のときは同期を追い抜いていくことに強い優越感を覚えたが、三年目が過ぎ、五年目ともなると周りの馬鹿どもに対しての優越感は、呆れや苛立ちに変わった。
 周りの奴らも確かに頭の回転は速い方だと思う。しかし、どうにも生真面目というか馬鹿正直と言うか、つまり愚かだ。
 株式営業部内での仕事はキザキの株を売り、株主を得る。簡単なことだ。
 俺以外の奴は、協力的な信頼の置ける株主や、大口の株主を得ることに奔走している。
 まるでわかっちゃいない。
 商売とは頭の悪い人間を相手にするべきだ。知識もないのに見栄を張りたがる人間や、目先の事しか見えていない長期的展望がない人間、人の言う事をすぐに信用する思考力のない人間。そういった愚民共に俺は株を売りさばく。
 詭弁を弄し、意図的に選択した説明で誘導し、株をギャンブルのように錯覚させる。
 もちろん、株はギャンブルじゃない。株をギャンブルだと思っている奴は株では勝てない。
 しかし、勝たせるため、儲けさせるため、得をさせるために売っているわけじゃない。
 俺の成績が上がればいいのだ。ギャンブルで一番儲けるのは胴元に決まってる。
 俺は顧客がある程度の数に達したところで、それを株式保有額が一定になるように、A,B,Cの三つのグループに分けた。
 そして、ある時にはA、ある時はB、時にはA、Cとそれぞれに勝てる情報を流し、売り買いを促し、Aが利益を得る時はB、Cが損を、Bが利益を得る時は他の二つが損を、というようにコントロールした。
 不思議なもので、常に得をするよりも、損と得が入り混じった方が射幸心が煽られる。
 つまり、ギャンブルだ。俺は顧客にギャンブルをさせ、それをコントロールして熱中させる。
 このギャンブルに勝者はいない。俺が一人、得をするだけ。馬鹿はそれに気づかない。操られている事に気づかない。もちろん、自らの意思で選択しているように俺が誘導しているのだが。
 ちなみに、人は自らの意思で選んだ事を正しいと信じる傾向にある。それが損をするとわかっていても正しいと信じ込んでしまう。馬鹿はその正しさを疑わない。本当にその選択が自分の意思か、選択する前に考えるべきだ。
 権威を信じ込む奴、メディアに踊らされる奴、俺に誘導される奴。騙されるやつが悪いのだ。
 そんなこんなで、俺の仕事は上手くいっている。
 しかし、上手く行き過ぎてどうにも張り合いがない。切磋琢磨し、自分を磨き上げるための当て馬もいないんじゃ成長しようがない。
 この会社では俺の能力を100パーセント使いこなす事はできない。
 俺はもっとできるはずだ。俺の能力をフルに使える、認めてもらえる場所があるはずだ。
 ならば、俺は次のステージに行くべきだ。
 そんな焦りにも似た感情を抱いていたある日、キザキ主催の交流会で俺はある人物に出会った。
 ハスミ=孝太郎。ヘッジファンドの若き社長。
 俺と歳が近いこともあって意気投合した。
 交流会が終わった後、連れ立って向かったBARの中で、俺は衝撃的な事実を知る。
 それは、この国の株式市場を支配するヘッジファンドギルドの存在。
 大手ヘッジファンドや巨大投資家が手を組み、株を変動させ、時にある一分野の株価を底上げしたり、時に大暴落させ、市場の活性化、新陳代謝による循環を行なう。
 この国の株式市場は全てそのギルドが支配していると言っても過言ではない。
 今は、『源水』を取り扱う企業への投資に力を入れているという。『源水』
 時折、聞きなれない単語やシステムの話が出てきてはいたが、とにかくハスミはそのギルドの一員らしい。
 これはチャンスだ。俺の中に酒によるものとは別の熱さが篭る。
 「俺を雇ってくれないか?」
 唐突な俺の申し出に、ハスミは戸惑う。
 「いや、しかし君は貴崎さんのところの社員だし……」
 言いよどむハスミに俺は頭を下げる。このチャンスを逃すわけにはいかない。
 俺は次のステージに上がるそのためにできる事は何でもする。今あるものを全て捨てても構わない。
 「あんたに儲け話がある。それが上手くいったら俺を雇ってくれ」
 試験を自ら申し出る。ハスミはグラスをゆっくりと傾けた後、真剣な眼差しをこちらに向ける。酔いなど見えないプロの目つきだ。
 「一ヵ月後に発表される新商品がある。その発表日の前日にキザキの株を買えばいい。それに合わせて俺は顧客に株を全て売らせる。株価が5%は下がるはずだ。新商品は社運をかけた商品だ。発表されれば株価が上がる事は間違いない。予想では現在から20%の上昇は固い。あんたは25%分の儲けを得られる。この機に乗じて筆頭株主になってキザキを買い取ってくれても構わないぜ」
 最後のは冗談だ。しかし、強気な冗談がお気に召したらしい。
 ハスミは少し考えてから小さく肩を震わせた。悪戯を話し合う子供のように無邪気に、純粋な悪意に目を細める。
 「おいおい、そんな事言うなんてどうかしてるぞ?こいつはインサイダー取引以外の何ものでもない。しかも、君はそれに合わせて株を“売り”に変えようとしている。市場混乱は重罪だぞ」
 ハスミの言葉に俺は不敵に笑う。ここが勝負どころだ。
 「“免罪符”がある。あんたが俺を買ってくれ」
 どうやら俺の言葉に面食らったらしい。ハスミは目を丸くしたが、すぐに口元を笑みに変え、酒を二つ注文する。
 俺達はバーテンの差し出すグラスを手に取り、交し合う。
 「「乾杯」」
 交渉成立だ。

 どうしてこうなった?
 俺は今、裁判台に立っている。目の前には裁判長、証人席にはキザキコーポレーション社長、貴崎吉人きざきよしと
 あのBARでの会話から一ヵ月後、正確には一ヵ月後の新製品発表から一週間後、俺に問われているのは市場混乱、強制誘導、利益教唆、相互強要、懲役56年。
 「どういうことですか社長!」
 俺は思わず、貴崎社長に問いかける。
 「まだわからないのか?君は頭が悪いな。やはり我が社には必要ない。ハスミ=孝太郎君は協力者だ。君の仕事ぶりには以前から目に余るものがあった。君の仕事は顧客の利益を考えず、傲慢で、君の優越感をただ満たすだけのものだった。君は君の利益しか頭になく、それは全体として我が社に損益を与えていた。ハスミ君は餌だよ。よくも知らない人物の言葉を鵜呑みにして君は目の前の餌に飛びついた。あれは君が我が社に残るための最終試験だった。そして、残念ながら君は不合格だ」
 「そんな……嘘だ……嘘だ!ハスミは俺を助けてくれるはずだ!“免罪符”で俺の罪をなくしてくれる!そういう約束だったはずだ!」
 「ハスミ君がそう言ったか?君が勝手にそう思っていただけだ}
 
 「言ってなくても、肯定はしていた。そんなのは詭弁だ」
 「そうだ。君が良く使う手だ」
 社長の言葉に俺は愕然とする。
 手足に力が入らない。俺の意思とは無関係に小刻みに動いていることだけがわかる。
 涙や鼻水も出ているかもしれない。
 社長はそんな俺の姿を証人台の上から見下ろす。
 「僕はお金の価値を知っている。“免罪符”で罪や命まで買えるこの世の中でお金で買えないものはないに等しい。お金の価値は絶大だ。だからこそ、僕は金で買えないものの価値を知っている。その尊さを知っている。その一つが信用だ。君は我が社を裏切った。君は人としてとても重要なものを捨てたんだ。“裏切り者には死を”っていうのはけして大げさな言葉ではないさ。僕は僕の信頼を裏切った君を助けない。信用を得るのは困難だが、失うのはたやすい。君はその報いを受ける」
 冷たく言い放つ社長の言葉を理解していくにしたがって、俺の中で次第に怒りが湧いてくる。好き勝手に言っちゃいるが、俺がここにいるのは社長とハスミのせいなんじゃないか?俺が犯罪者になったのは、そう仕立て上げたのはお前らじゃないか!間違っている!俺は罪に問われるべきじゃない!俺は間違っていないはずだ!
 「これは罠だ!詐欺だ!誘導尋問だ!俺は嵌められたんだ!裁判長!俺はこいつらに嵌められたんです!こいつらが俺を唆し、犯罪を犯すように誘導したんだ!」
 吼える俺を社長は見下ろす。
 飼い主の手に噛み付いた馬鹿な犬を撃ち殺すように社長の口が開く。
 「君は自らの選択を正しいと信じて疑わなかった。その選択が間違いだと気づかなかったのは――」
 俺にとって、どんな判決よりも残酷な判決を社長が下す。
 「――君が、無能だからだ」
HOME