罵詈雑言

「大体、お前はーー」
また始まったよ。いつも通り、部長のお説教タイムだ。
毎日毎日、仕事の終わりに待っているお叱り?罵倒?罵詈雑言の嵐。
大体、一時間から二時間長い時にはそれ以上。
その間、ずっと僕は俯き、部長の罵声に耐え続けなきゃいけない。
もはや説教ではなくただ、僕を罵り、蔑み、貶すのだ。
言葉の暴力などというが、確かにこれは暴力だ。もちろん、心が傷つく、弱る。そういう意味でも正しい。
しかし、言葉というか声というものは音波なのだ。
音波というものは空気の振動である。
つまり、罵声が空気を震わせ僕に襲いかかってくるのは、声に殴られていると言っても過言ではない。
パワハラなんて言葉があるが、まさにパワー《暴力》だ。
「聞いているのか」
部長の唾が僕の顔に飛ぶ。
「すっすいません!」
聞いてるわけねぇだろ。
「あ?お前、すぐ、すいませんって言えばいいと思ってるだろ!」
他にどう言えと?何を言っても怒られる。
謝ろうが、反論しようが、黙していようが結果は変わらない。
風圧で髪が後ろに流れる程の罵声が吹っ飛んでくるだけだ。
大体、毎日毎日、部長の言ってる事は変わらない。下らない精神論を言葉を変え、時に今朝の新聞で知ったような新しい言葉を混ぜ、僕にぶつけているだけだ。
よくもまぁ、毎日毎日、同じ事で怒れるものだ。怒る内容が同じならこんな意味のない説教を繰り返すよりも、無理の無いノルマの設定や、改善策を出す方がよっぽど、有意義だし、それが人を統率する者の役目なのではないだろうか?
なんだか怒りが湧いてきたぞ。
いや、毎日毎日、罵倒されて、怒りは溜まりに溜まってはいるが、それが今まさに爆発しそうな程に膨れ上がっているのを感じている。
そもそも、僕がこうして罵詈雑言の中にいるのはノルマが達成できないからだが、そもそも、達成不可能なノルマを課せられてるのだ。
聞いたことがあるぞ、達成不可能な任務を与えて失敗を四六時中責め立てると判断能力が失われて命令に忠実な優秀な兵士ができるらしい。
つまり、これは洗脳なのだ。
僕の仕事の成否なんて関係ない、意味なんてない。
ただ、言葉で僕をパンチドランカーにして無理矢理従わせようとしているのだ。
それに気づいて、僕の中の怒りが限界を超えたのを感じた。
僕は、顔についた部長の唾を拭い払って、吠えた。
今までの怒り、入社してからずっと耐えてきた僕の全てだ。
何を叫んでいるかなんてわからない。
頭の中は真っ白だ。
僕の口からでる怒りに満ちた音波が物理的な衝撃を伴って事務所内を震わせる。
僕が叫ぶ、その風圧でデスクの上の書類が吹き乱れる。
部長と僕以外の社員はとっさに耳を塞ぎ、うずくまる。
身を守るのが遅れてしまったのか、近くに立っていた女性社員は耳から血を流して、ぶっ倒れた。
きっと鼓膜が破れたんだろう。
それくらいの爆音が僕の口から飛んでいく。
僕はその全てを部長に向け、ただただ叫び続ける。
僕自身の鼓膜はとっくに破れてる。
喉は裂けて鉄の味がする。
それでも、僕は、僕の怒りを、死にかけの精神の断末魔を、存在の悲鳴を叫ぶ。

もう、一言だって声を出す事はできない。
一生分の罵詈雑言を吐き出した気がする。
肩で息をしながら、僕は目の前の、部長だったモノを見下ろす。
音波とは空気の振動だ。
僕の声は物理的に部長をぶちのめした。何百発、何千発もの拳で殴りつけたようなものだ。
結果、僕の足元には粉々になった部長が積み上がっていた。
僕は肩を上下させている呼吸を整える。
最後に大きく、息をすって、怒りの残滓を吐き出すように大きなため息をついた。
そのため息に目の前の粉は吹き飛ばされて空気の中へと消えていく。
全てが消えていくのを眺めた後、僕はぶっ倒れた。
周りの人間が慌ただしく動きまわる振動を、顔がくっついている床から感じたが、僕の心は死んでもいいぐらい晴れやかだった。


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