狩りの記憶

 周りを石壁で囲まれた薄暗い通路を僕は歩いている。
 なにか頭に被っているのか視界がいつもと違う。おそらく目の所だけ開けた麻袋の様なものだ。通路の暗さと相まって視界が悪い。
 しかし、そのせいか通路内の光源である炎や、それに照らされた石壁が妙に印象深く目に焼きつく。
 通路の先は見えない。
 松明の炎だけでは照らしきれないのだ。
 僕はそんな通路の奥へと歩を進めていく。通路の奥からは金属を打ち付けるような音や、声の様なものがかすかに聞こえる。
 奥に奥にと進むにつれて周りの石壁が汚くなっていく。染みや傷が増えていく、それら何かの痕を見ると僕の肌には鳥肌が立ち、心拍数が上がっていく。
 それでも僕はゆっくりと奥へと歩いていく。
 通路の奥には扉があった。
 鉄でできた。見るからに重そうな、まるで窯の蓋のような扉。
 先程から微かに聞こえていた音や声はこの奥から聞こえている。
 僕は意を決して扉に手をかける。
 扉の空いた隙間から中の光と共に熱気が漏れ溢れてくる。
 煌々と松明が焚かれた部屋の中には女性が並べられていた。
 それを、おそらく僕と同じであろう麻袋を被った男達が囲んでいる。
 金属を打ち付ける音は女性を直接、壁に撃ちつけている音で、無感情に一定のリズムで響いている。
 打ち付けられている女性は声とは思えないような悲鳴を上げ、順番を待っている女性は恐怖と涙で形を変えた瞳でこちらを見つめる。
 その中の一人と僕の目が合う。
 彼女もそれに気付いたのだろう。僕に向かって懇願する。助けを。慈悲を。
 僕は彼女に近づいていき手を伸ばす。
 僕の手には赤く錆びたまるで狂気のような形をしたペンチが握られていて――

 「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 僕の精神は限界を向かえ、目を覚ます。
 叫び声を上げながら飛び起きた僕を迎えたのは静寂だった。
 「おーい、先生さすがにそんな漫画みたいな奴、初めて見たぞー」
 教壇に立つ先生が呆れたように僕に声を投げかけた。
 僕は慌てて周りを見回す。
 見慣れた高校の教室。平和に晴れ渡る空が窓の外に広がっている。
 悪夢を見た後の嫌な汗は次第に引き、悲鳴代わりの心拍数は落ち着きを取り戻していく。
 どうやら授業中に居眠りした挙句に、夢まで見てしまっていたようだ。
 周りからクスクスと笑い声が聞こえる。
 僕の体から先程とは違う種類の汗が噴き出す。
 「す、すいませんでした!」
 僕は背筋を伸ばして謝罪の言葉を口にして、先生からの答えが帰ってくる前に急いで席についた。
 「ったく、とりあえずお前は放課後、職員室なー。っと、どこまでやったっけ?あー。そう、中世末期な。この頃、行なわれていた魔女狩りっていうのはだなー。いわゆる魔女、魔女って言ってもこれには男性も含まれる。つまり、魔術行為を行なう者って意味だな。その魔女や魔術行為に対する弾圧。えー、裁判や刑罰の一連の流れが“魔女狩り”と呼ばれているものだ。初め、民衆の中での裁判だったそれは、教会が関与する事によって異端審問に変わっていく。土着信仰のいわゆる巫女的な者や、薬師などの教会が持たない専門知識を持つ者達が魔女としての烙印を押されて――」
 先生が授業を進める声を聞きながら、僕の頭の中では夢の内容が反芻されていた。

 「授業中に叫んで起きるなんて一体、何の夢、見てたの?」
 放課後、居眠りの件で先生にこってり絞られた僕が職員室から出ると、幼馴染の美子が声をかけてきた。
 生まれた時から家が隣で、小中高とずっと同じクラス。なんとも縁が深い。
 「わざわざ、待っててくれたのか?」
 「授業中に寝惚けて大声上げるような人でも私の彼氏ですから」
 美子が冗談めかして笑う。
 僕は思わず見とれてしまう、艶のある長い黒髪、意志の強そうな大きな瞳、雪の様な白い肌、細い指先――
 「……っつ」
 美子をとらえていた僕の視界に一瞬、別の映像が重なる。
 すぐに消えてしまったそれを追う様に僕は目を凝らす。
 「そ、そんなに見つめられると……さすがに恥ずかしいんだけど」
 美子の言葉に、はっと僕は我に返る。
 「自慢の彼女があまりにも可愛くって。毎日こんな娘と一緒に下校できるなんて僕は幸せ者だなー」
 一瞬視界をよぎった何かを振り払うように、見てしまった悪夢を忘れるかのように僕は勤めて明るい声を出す。
 「ばっかじゃないの」
 美子が僕の手を掴み、引っ張るようにして歩き出す。
 照れ隠しなのか美子はこちらを振り向かずに下駄箱に向かっていく。
 ?がれた手、伝わる美子の体温。そう、僕達は今、付き合っている。
 これまで色んな事があったけど、思えばいつでも美子が側にいたな。
 僕はしみじみと思い、幸せを感じる。そんな想いを伝えるように、幸せを掴むみたいに美子の手を握り締めた瞬間――視界が染まる。
 鮮やかな、深い、綺麗な、輝く、錆びて、こびりついた、液体に、彩られる。
 「ねぇ、やっぱり、授業中にどんな怖い夢を見たの?」
 いつのまにか歩みを止めていた美子が振り向いて、つないだ手に空いてるほうの手も重ねる。
 僕は知らないうちに相当強く手を握り締めていたらしい。
 僕はバツが悪くなって手を離そうと力を緩める。
 その手を逃さないように美子は強く僕の手を握り、僕を見上げる。
 大きく、澄んだ彼女の瞳に写る僕の顔は血の気の失せた能面だった。
 「ねぇ、聴いてあげるから言ってみて」
 僕のことは全てわかっていると言いたげな美子の瞳に見つめられ、僕は授業中に見た夢の話を始める。
 暗い通路。おそらく牢獄であろう部屋。そこで壊されるために集められた女性。見た事は無いが、それでも人を苦しめるためのものだとわかる道具を手に持つ男達。彼らを統べる自分。血液が指紋に入り込んで乾いた手。炎の明かりを照り返す金属。焼ける匂い。
 「きっと、中世の魔女狩りなんて話の授業中に居眠りしたから、内容を夢に見たんだよ」
 話してる内になんだか気が楽になってきた。子供みたいに悪夢なんか気にして馬鹿馬鹿しい。
 僕は思わず苦笑する。
 それでも、美子は心配そうに僕の顔をじっと見つめていた。

 またあの夢だ。
 目の部分にだけ穴を開けた麻袋を被っている異様な格好の男達が輪になり、椅子に縛られた一人の女を囲んでいる。
 体中の生傷から血が滲んだ女は息も絶え絶えに顔を俯かせている。
 女の頭越しに男達は談笑している。
 拷問の途中の小休止といった悪夢そのものな状況。
 「現在、魔女と思しき人物は確認されていません」
 「まぁ、いるわけ無いわな、公爵様に従わない土地を潰すのが目的なんだし」
 「まだ、息のある女は?」
 「虫の息ですがニ、三名ほど」
 「その者達を、魔女ということで公開処刑とすることで我らの成果と致しましょう」
 くぐもった陰湿な笑い。
 男達が語る内容は、彼らの行なう魔女狩りが異端審問ですらない。ただの“狩り”だということを示していた。
 目的は陰謀で、手段は威光、拷問は趣味。
 「なんなんだ貴様らは、そんな事のために私達の村を……魔女の村などと」
 それまで黙って痛みに耐えていた女が、顔を俯かせたまま声を発した。
 灼熱の様な怒りに満ちた女の呻き声。
 「許さない」
 女がそう呟くと、僕の隣にいる男が強烈な悲鳴をあげ、喉を掻き毟り、絶命した。
 男達に動揺が広がる。
 「呪ってやる」
 再び女が声を発すると、先程とは違う男が股間から血を噴出し、死んだ。
 「本物だ!本物の魔女だ!」
 「嘘だろ?魔女なんて迷信じゃないのかよ」
 「馬鹿な!神よ!神よ!神よ!」
 慌てふためく男達の声が響く中、女はゆっくりと顔を上げる。
 艶のある長い黒髪、意志の強そうな大きな瞳、雪の様な白い肌、細い指先――
 うわあぁぁぁぁぁぁァァァぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
 僕は悲鳴を上げる。だけど、夢の中で声は出ない。頭の中だけで悲鳴が反響する。
 今は、所々焦げた黒い髪、涙と恨みを流す大きな瞳、血の滲む白い肌、ひしゃげた指先に変わっていたが、見間違えるはずが無いそれは、美子のものだった。
 なんて悪夢なんだ!拷問されていた女は美子だ!こんなの見たくない!早く!早く目覚めてくれ!
 僕の懇願虚しく、睨みつける美子に、夢の中の僕は近づいていく。
 やだ!やめてくれ!目を閉じたくても、耳を塞ぎたくても、夢の中では叶わない。
 忘れられない光景。いつまでも耳に残る声。手から伝わる感触。
 幾度と無い行為の果てに、彼女の最後の時がやってくる。
 彼女に呪い殺された男達の死体に囲まれて僕と彼女は見つめあう。
 半分以上が人間の顔ではなくなっている彼女が残った目で僕を睨みつける。
 魂を食いちぎるような視線。
 歯のない口で彼女は断末魔の叫びを上げる。
 「未来永劫、貴様を呪う!貴様がいつ何処で何に生まれ変わろうとも、私は必ず復讐する!逃げ場はないと知れ!怯え続けろ!」                         
 歯を失って、上手く発音できないはずの声が、鮮明に耳朶を打つ。
 僕の心が壊れ――
 僕は目を開く。見慣れた自室の天井。目だけで暗い部屋を見回す。
 帰ってきた。僕はしっかりした現実の感触を確かめる。
 それでも僕は、夢から醒めてなお、夢に引きずられている。心臓は早鐘を打ち、全身は震えて、浅い呼吸を繰り返している。
 見てしまった夢の内容に、僕は再び眠ることができず、余韻を感じたままベットの上に転がっていた。
 彼女が最後に言った言葉を、僕いつまでも考えていた。
 小鳥の声が聞こえる。

 迎えに来た美子と一緒に僕は登校していた。
 朝の挨拶を交わしてから、押し黙っている僕を、美子はずっと見つめていた。
 観察者の目で。
 いつもと違う彼女の様子。
 僕を嘲笑う口元。
 「思い出した?」
 美子の質問に背筋が凍る。
 視線を向けた先には僕の知っている美子の顔は無かった。
 目を見開き、裂けるほど口を広げて邪悪に笑う彼女。
 夢の中、半分だけ残った顔で叫ぶ美子が重なる。
 あぁ、やっぱり。
 夢は、夢ではなく、記憶だった。
 どんな方法かはわからないが彼女は僕に復讐するために生まれ変わった。
 何のためかはわからないけど今まで僕の幼馴染として生活してきた。
 僕の人生は嘘っぱちだった。幸せに満ちた日々は呪いに満ちていて、愛情は崩すために積み上げられて、信頼は裏切るためのものだった。
 あぁ、そうか、そのために彼女は僕の幼馴染として生活してきたのか――僕の世界を反転させるために。
 「うわあぁぁぁぁぁぁァァァぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 夢と違い、僕の叫びは今度こそ大気を振るわせた。
 だけど、僕は絶望しないよ。
 僕は、壊れた玩具のように全身を震わせる。
 むしろ希望に溢れている。
 僕は涙を流す。
 それは歓喜の涙。
 僕は神に感謝する。
 だって、君をまた分解できるんだから。 
 


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