ワールドコード :3-5
 「そう、めでたく我々は盃を交わし、一つになる。それは新しい歴史の幕開けとも言うべき重要な出来事なのです。しかし、ここにきて一つ問題というか邪魔が入りましてね」
 そう言って、黒澤は一枚の写真を狩野に差し出した。
 「こいつは何だ?」
 狩野が受け取った写真には初老の男が写し出されていた。
 「亡霊ですよ」
 「はぁ?」
 黒澤の答えに、狩野は眉を顰めた。
 しかし、狩野以上にわけがわからないといった表情を黒澤は浮かべていた。
 「写真に写っているのは射概玄十郎。“昭和の脱獄王”と呼ばれた男です」
 理解できない問題を目の前にしているかのように黒澤は額に手を当て眉間に皺を寄せて話を続ける。
 「任侠だの仁義だのなんて言ってた頃の古いタイプのヤクザ者なんですがね。十年以上も前に無期懲役の判決が下されて服役中。のはずなんですが、その射概を最近見かけたという情報が入りましてね。どういうわけか“射概が脱獄した”なんて噂まで広まる始末です」
 (射概玄十郎……どっかで聞いた事があると思ったが)
 黒澤の説明に狩野は今朝の会話を思い出し、隣に座る黒江が抱えている雑誌を奪う。
 「ちょ、あぁ!アニキぃ、私の雑誌ー」
 返してーと手を伸ばす黒江の顔を抑えながら狩野は雑誌を開く。
 「こいつか?」
 狩野が開いたページを流し読みして、黒澤は溜息を吐く。
 「その通りです。そこに書かれていることもほぼ事実として聞いた事があります。まるで都市伝説ですがね。実際、神出鬼没でまるで瞬間移動でもするかのようにどこにでも現れたとか」
 馬鹿馬鹿しいと黒澤は首を振った。
 狩野は記事を読んで口の端を上げる。
 (なるほど、ここに書いてあることが事実なら、瞬間移動でもできない限りは説明できねぇ)
 雑誌から顔を上げた狩野の顔は狩人のそれに変わっていた。
 俄然興味の湧いた狩野は、顔をひっぱたくようにして黒江に雑誌を返し、黒澤に挑戦的な目を向ける。
 「で?この射概ってジジィが瞬間移動で絶賛脱獄中だとして何の問題がある?」
 狩野の質問に、困った顔で黒澤は再び溜息を吐く。
 「この射概って男にはどの組も散々苦渋を飲まされましたからね。未だに伝説として親父達の世代には恐れられている存在なんですよ。それに、射概は組の独立性ってのを重んじていましてね。組同士の安易な連合を良しとせず、そういう組を真っ先に潰しにかかる男でした。まして射概のいた『大沢組』の組長を買収し、組ごと吸収して潰したのは我々『七代目黒澤組』です。仇の様な組が自分の意に沿わない形で一大勢力になろうとしている。射概にとっては我々の計画ほど潰したいものはないでしょう」
 「だからって、脱獄までするかね?重犯の無期懲役で脱獄なんて下手すりゃ死刑になりかねねぇんだけど」
 「さぁ?信念なんてもののためなら何でもするような男の気持ちは私にはわかりません」
 前時代的悪習を忌むように瞳を真っ黒に染めながら、しかし、と黒澤は付け加える。
 「目撃情報があるのは事実でして、なによりうちの親父の前に現れたって言うんです」
 「射概がか?」
 黒澤の言葉に狩野は目を見開く。
 黒澤は自嘲的な口調で経緯を語る。 
 「先日の晩――親父がふと人の気配を感じ、目を覚ますと枕元に射概が立っていたそうです。暗い部屋の中で姿は見えなかったが、声でわかったと。そして“今回の談合は認めない”とだけ言うと気配が消えた。親父は慌てて明かりをつけましたが、そこに姿は無かった――夢でも見たんじゃないかと思いますがね。どうにもビビッてしまって、射概の件に片がつくまでは連合の件は見送る等と言い出す始末でして。私達が狩りだされているってわけです」
 やれやれと肩をすくめる黒澤に狩野は挑戦的に口を歪める。
 「それでなんで俺のところにくる。ここは便利屋じゃなくて『超能力研究所』だ。もしかしてあんた、射概ってのが本当に超能力で瞬間移動してるとでも言うのかよ」
 「まさか、ありえません。こちらを訪ねたのは貴方が警察と繋がりを持っているからです」
 断定的に言って黒澤は冷たい笑みを浮かべた。
 冷酷で酷薄な薄情な笑顔。
 先程までのかたどられたものとは違う本物の笑顔。しかし、それが一番禍々しい。
 狩野の中に改めて緊張感が生まれる。
 そんな狩野の反応を観察するように黒澤は唇をなぞらせる。
 「この街のことは大体、耳に入ってくるようになっていましてね。警察官僚らしき人物と貴方が連れ立って歩いているのを組員が何度か目撃しています」
 (警察官僚……高瀬のことか)
 見当をつけた狩野の表情の変化を見逃さず、黒澤は畳み掛ける。
 「心当たりがあるようですね。事件現場に貴方が出入りしていたという報告も受けている。貴方のお友達は相当な権限を持っている方のようだ」
 「お友達じゃねぇけどな」
 狩野の言葉の端を黒澤が狡猾に捉える。
 「しかし、繋がりはある。だから貴方に“お願い”しに来ました。射概玄十郎の置かれている状況は少々特殊でしてね、誰も面会することはできず、娑婆との接触を一切断たれた厳重な独房に収監されている。さすがに脱獄王とまで呼ばれる人物に対しては警察も十二分な対応をしているというわけです。手紙のやり取りすら許されない完全な檻の中、貴方ならその中に入って彼と会うことができるのではないですか」
 確認するような黒澤の問いかけをはぐらかすように狩野は鼻で笑う。
 「まぁ、そんなまさしく牢獄って中に入れたとして、射概って奴は脱獄中なんだろ?」
 そんな狩野の言葉に黒澤は乾いた笑みを漏らして、真っ黒な瞳を狩野に向ける。
 「あくまで噂ですよ。くだらないね。射概は独房の中です。我々の計画が達成されるまでの間、貴方には奴を見張っておいて頂きたい。それが我々の“お願い”です」
 黒澤は冷たい笑みを柔和な、目だけが笑っていないかたどられただけのものに変えた。


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