ワールドコード :3-32
 決死の特攻だった。自らの命と引き換えに、黒澤の命を奪うはずだった。
 しかし、射概玄十郎は生きていた。
 そして今――目の前には異様な光景が広がっている。
 射概は黒澤に銃弾を打ち込み、自身には銃弾の雨が降り注いでいるはずの、その銃弾がまるで時間が止まったように――
 ――全て空中で静止していた。
 状況が理解できず、全員が化かされたように呆ける中、射概の後ろ、この部屋の入り口から少女の声が響く。

 「どうやら、間に合ったみたいだな」

 突然の闖入者に、その場にいた全員の視線が集まる。
 顔を顰めた一条真名の顔をした少女――狩野にニナと呼ばれていた少女が堂々と立っていた。

 「なんだてめぇはっ!」
 金縛りが解けたように、場は一気に騒然となる。口々にふてぶてしい表情をした少女に向かって叫ぶ。

 「てめぇ、どっから入ってきやがった!」
 「普通に、入り口から入ってきたに決まってんだろ、ボケ」
 「なんだと?メスガキぃ!若い衆はなにやってやがんだ!」
 「あ?若い衆?あぁ、全員寝てるぜ。再起不能で」
 「全員再起不能だぁ?四つの組、合わせて何人いると思ってやがる!」
 「うるせーな。そんなの知るかよ」

 暴力を生業にしている者たちからの怒声を受けても、ニナは横柄でふてぶてしい態度を改める素振りもない。

 「つーかさ、アタシ今、めっちゃイラついてんだ。汚ねぇダミ声きかせてんじゃねーよ!」

 ニナが眉間に皺を寄せた瞬間、今まで宙に浮いていた銃弾が、この瞬間に打ち出されたかのように高速で飛び散る。

 「うっ」「ぐあぁ!」「ゲっ」「あぁっ」

 高速で飛び散った銃弾は射概と黒澤以外の全員に赤い染みをつくる。
 その後は、阿鼻叫喚。打ち抜かれた者たちの悲鳴、怒声、驚愕、苦痛の叫びが部屋中に渦巻く。
 一瞬で部屋の中を地獄絵図に変えた少女は、その惨状に眉を顰める。

 「ありゃあ、余計にうるさくなっちまった」

 ニナは苦痛に転げまわる組員の一人を指差す。

 「黙れ」

 綺麗な唇から不機嫌な声が放たれると同時に、その組員の顎がひしゃげ、千切れそうなほどに腕が曲がり、口から泡を吹いて気絶する。
 その光景を目の当たりにした者達から恐怖の声が上げられる。

 「黙れ、黙れ」

 アルミ缶のように、紙くずのように、人間が見えない何かに潰されていく。

 「黙れ!黙れ!黙れ!黙れ!」

 もはや、指差すというよりは指を振り回しながらニナは怒鳴る。その度に、まるで空気が圧縮されるみたいに、急激に重力が変化したように、見えない何かが遊ぶように、人間がゴミに変わっていく。変えられていく。
 そして、射概と黒澤以外に立っているものがいなくなると、ニナは一息ついて、二人に向かってまったく好意的でない笑みを浮かべる。

 「嬢ちゃん……こないだの嬢ちゃんだよ……な?」

 銃口を前にしても感じたことのない感情に、射概の額から汗が流れる。

 「なんだてめぇは?どこの差し金だ!」

 怒りの表情で声を荒げながらも、銃を持つ黒澤の手は震えてしまうのを抑えられない。
 お互いに超能力者だからこそ二人はニナの能力がいかに強大で、人智を超えた暴力であるか瞬時に理解した。理解してしまった。
 彼女の力を持ってすれば、それこそ羽虫のごとく一瞬でバラバラにされてもおかしくはない。

 「あぁ、質問に答える気とかねぇから。やることは変わらないし、問答は面倒くさい――」

 そして、何より二人にとって最悪なのはこの少女には交渉の余地がないこと。
 会話を拒否した人間は、無慈悲に、躊躇なく、暴力を振るう。

 「――だから、全部ぶっ壊す」

 ニナが宣言すると同時に、射概の全身から血が噴き出し、その膝は折れ、地に倒れる。

 「じょ、嬢ちゃん……な、何を……」

 指の一本も動かせなくなった射概が今にも途切れそうな声を振り絞る。
 その様子を満足そうにニナが見下ろす。

 「まずはアンタの復讐をぶっ壊した。残念だったな、もう立てないだろ?」

 射概の体から力が抜けていくのを見届けて、ニナは次に黒澤を睨みつける。

 (こいつはやばい)

 黒澤の体を恐怖が駆け上る。
「こ、こんなことして、ただで済むと思っているのか!」

 黒澤の口がガクガクと抗議の悲鳴を上げる。

 「ただで済ませる気なんて元から無いね」

 ニナは不機嫌に凄惨に目を細める。

 「アタシはさぁ、ムカついてしょうがないから、アンタらに八つ当たりして憂さ晴らしする。運が悪かったと思って諦めな」

 今まで弄してきた策も、これから先の計画も、圧倒的な暴力の前では、何の脈絡もなく、予兆すらなく、不条理に、理解すら許されずに全てが台無しにされてしまう。暴力とはこんなにも理不尽なものだったのか。黒澤は息を呑む。

 「畜生、こんなにしやがって、これじゃ俺の計画は終わりじゃねぇか」

 集まっていた組は壊滅状態、目の前の脅威。黒澤は悔しさに歯噛みする。

 「畜生がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 恐怖を塗りつぶすように黒澤は叫ぶ。

 「計画は台無しだ!もう逃げるしかねぇじゃねぇか!」

 黒澤の言葉に聞き捨てならないというように、ニナの眉が上がり、挑戦的に口の端をあげる。

 「アタシから逃げるって言うのか。ははっ!逃がすかよ!聞いてるぜ、アンタ見られてると瞬間移動できねぇんだろ?」

 嗜虐的な瞳を向けるニナを黒澤は睨み返す。
 ニナは眉間に皺を寄せる。なぜなら、絶体絶命の中にも黒澤の口が憎憎しげに笑みを形作ったからだ。

 「私は自分の弱点は熟知している。もちろん、その解決法もなぁ!」

 黒澤の懐から何かが転がり落ちる。ちょうど拳ぐらいの大きさのそれは、莫大な光を放ちながら――炸裂した。

 「なっ、閃光弾っ……!」

 光に包まれ、全てが真っ白に染まる中、黒澤の声だけが響く。

 「私用に改良されたものだがね。音が少ないかわりに効果が長い」

 逃亡の成功を確信したのか、黒澤は高揚した声を光の中に広げていく。

 「奥の手はとっておくものだ!何も見えまい!覚えていろ!逃げるしかできないなんて屈辱、忘れはしない!いつか必ずこの借りは返してやるからなぁ!ハハハハハハハハ」

 黒澤の笑い声が響く中、閃光弾の光は徐々に収まっていく。

 「ハハ……ハァ?」

 光が完全に収まった後、そこに黒澤の姿は無いはずだった。

 「私の瞳が青く光るせいでよく勘違いされるんですけど、私は目で見ているわけじゃないんですよ。“視て”いる訳じゃなくて“観て”いるんです」

 光に飛ばされていた世界が形を取り戻した中で、澄んだ声が響く。

 「私はあなたを“観て”ますよ」

 瞬間移動したはずの黒澤は、姿を消せずに、その場に立ち竦んでいた。
 予想だにしていなかった展開にその目は驚愕に見開かれ、想像を超えた状況に脂汗が噴き出す。
 黒澤は、死ぬ寸前の魚のように弱弱しく口を震わせ、真っ暗な井戸の底を見るように、ゆっくりと眼球を声の方に向ける。
 不機嫌な災害そのものだった少女は、その瞳を青く輝くものに変え、真剣な眼差しで黒澤を見据えている――
 ――その目が合う。
 落下していく感覚。青く光る瞳に飲みこまれていく。底のない無限の青は黒澤の全てを消化していく。虚飾を剥がされ、取り繕うものは分解されて、黒澤の存在そのものが際限なくその瞳の中に落ちていく。それは世界に溶け込むような爽快感と終わりの無い絶望。

 「私からは逃げられません」

 一条真名は黒澤を現実に引き戻すように凛とした声で宣告する。
 黒澤はその言葉の意味を理解していた。その瞳に“観られている”事を理解させられていた。
 先ほどまでの理不尽な暴力を前にしていた時とはまったく別の、次元の違う恐怖が黒澤を襲う。

 「なんなんだよ……なんなんだよ、お前はぁぁぁぁぁぁ!」

 理解の範囲を超えた存在に、黒澤の体が無意識に銃を構える。

 「き、消えろ化け物ぉ!」

 自らの存在を脅かされる恐怖は黒澤に防御行為としての攻撃行動をとらせる。
 自らの存在を守るためにとった黒澤の行動は、しかし、遅かった。

 「今すぐに銃を捨てて手を上げろ!」

 真名と黒澤が対峙する部屋に、盾を持ち銃を構えた警官隊が次々と突入してくる。
 映画に出てくる特殊部隊のような出で立ちの彼らは、あっという間に真名の前に人間の壁をつくる。

 「え?え?」

 銃を突きつけられて竦んでいた真名は、突然の展開に焦りながら辺りをみわたす。
 戸惑う真名を落ち着けるように、その肩に手が置かれる。

 「狩野の連絡を受けてきたが、多数の重傷者に血まみれの射概玄十郎。想像よりも酷い状況だと言わざるをえないな」

 真名が見上げると、まるで感情の見えない能面のような顔で、高瀬明が無感情に状況の観察をしていた。

 「全部、狩野さんの計画通りってことですか」

 うんざりした顔で真名は呟く。

 「そのようだな。忌々しい事に」

 珍しく高瀬はその顔に苛立ちのようなものを見せる。
 高瀬に同調して疲れた溜息をつく真名のポケットから、タイミングを見計らったかのように携帯の着信音が鳴り響く。


次へ

HOME