ワールドコード :3-14
 長野県内、公営共同墓地。日の落ちてきた墓地内に人影は無く、ただ一人、ある墓の前で男が佇んでいるのみだった。
 男は十年以上の歳月が経って初めてこの墓の前に立っている。
 脱獄囚である男は囚人服を脱ぎ捨て喪服代わりの黒いスーツに身を包んでいるが、肩幅が余ってしまっている。
 墓の主と生前に笑い合っていた頃と比べると男は一回りほど小さくなってしまっていた。
 男は胸のポケットから煙草を取り出し火をつける。思い出を懐かしむように煙を吸い、哀しむように煙を吐く。
 詫びるように火のついた煙草を墓前に立て、手を合わせる。
 目は閉じず、睨みつけるように覚悟のともった目を、墓とその主の幻影に向ける。
 それは、祈るというより、宣誓でもしているかのような姿だった。
 そんな真摯な男の姿を茶化すように背後から声がかけられる。

 「亡霊が墓参りなんて何の冗談だ?丑三つ時にはまだ早いぜ」

 男が振り向くと、どういうわけか、昼間、刑務所で会った二人組みが立っていた。

 「よぅ、アンちゃん。どうしておめぇがここにいる?」

 墓の前に立つ男――射概玄十郎は一瞬、驚きを見せたものの、すぐに表情を剣呑なものに変える。

 「てめぇをもっかいブチ込むために決まってんだろ」

 獲物を捉えた銃口のように二人組みの一人、狩野恭一が笑う。

 「十二年前、その墓の主――斉藤幸助を殺して、てめぇは刑務所にぶち込まれた。それ以来いつでも脱獄できる能力を持ちながら刑務所暮らしを続けてきた。大人しく、恩赦が出るほどに。そんな奴が自戒を破って脱獄したんだ。まずは墓参りってのが筋だろう?最も、墓参りのために脱獄したわけじゃねぇだろうがな」
 「全部お見通しってわけかい?」
 「てめぇが、『黒澤組』が他の組と手を組むのを邪魔しようとしてるって事もな」

 狩野の言葉はハッタリだ。移動中に得たミハエルからの情報と真名の能力で得た情報からの推測に過ぎない。
 しかし、射概はそのハッタリを見抜けない。狩野がどこまで知っているのか読めない。
 探るような射概の視線と自信たっぷりに見せる狩野の視線が交差する。
 ゆっくりと日が落ち、静かな墓地内は暗く染まっていく。

 「次に脱獄して捕まりゃ、死刑は確定だ。だが、あんたはここにいる。そうまでして連合の成立を阻止したい理由がある」
 「組織ってもんはでかくなればなるほど腐っていく。アンちゃんは『黒澤組』が新しいヤクを広げようとしてるって知ってんのかい?」
 「あぁ」

 もちろんハッタリ。

 「刑務所で予知能力者に聞いたんだろ?」

 狩野の切ったカードに射概の眼光が鋭く光る。

 「そこまで知ってて俺を捕まえようってのかい?」

 馬鹿馬鹿しい質問だ。狩野は嘲るように鼻で笑う。

 「麻薬が流行ろうがどうしようが、俺には関係ねぇな。俺は超能力者《てめぇ》をぶち込むだけさ」

 墓地内を暗く染めていく闇は射概の表情を隠す。狩野は目を凝らすが輪郭を捉える事しかできない。

 「アンちゃんはヤクの怖さをわかっちゃいねぇ」

 射概は煙草を取り出し、火をつける。蛍のようにその光だけが闇に浮かぶ。

 「斉藤はな、俺の舎弟だった。気の弱いとこもあったが組のため、仲間のためなら命を張れる奴だった。斉藤がおかしくなったのは俺らのいた『大沢組』が『七代目黒澤組』の傘下として吸収された時からだ。あいつは大沢のオヤジに隠れて黒澤組から与えられたヤクを捌いてた。気付いた俺はやめさせようとした。だけどな、あいつはやめなかった。そんな度胸のある奴じゃねぇんだ。俺は気付いてなかったのさ、その頃には斉藤はすでにどっぷり薬に浸かってやがった」

 射概の口の動きに合わせて炎が揺れる。まるで煙草の火が話しているかのような錯覚を覚える。実体がつかめない。

 「十二年前、斉藤は突然、暴れだした。中毒症状さ、どこで手に入れたのか拳銃《チャカ》をぶっ放して、組の奴三人と組長《オヤジ》を殺した。痙攣した手で拳銃《チャカ》を握り締めてよぉ、わけわかんねぇことをわめき散らしてた。弾が切れてんのにガチンガチン引き金を引いてる姿は憐れなもんだったよ。俺と目が合うとな、その時だけはいつものあいつに戻って言ったよ。『殺してくれ』って」

 射概は次の煙草に火をつける。炎に照らされ、一瞬だけ上がった射概の瞳は周囲の闇よりも深く沈んでいた。

 「そういうもんだ。予知能力者の兄ちゃんが言うには黒澤の新しいヤクは大量の中毒者を作り出す。止められるのは俺だけだとよ。なら俺は動かにゃなるめぇよ」

 覚悟の篭った射概の言葉に狩野は噴き出す。肩を震わせ、押し殺した笑い声は、次第に大きさを増し哄笑に変わる。

 「関係ぇねぇなぁ。薬に手を出した人間が破滅するのは当たり前だろ?ましてや、それでヤクザが自滅すんなんて、ザマァとしか言いようがねぇな!」
 「てめぇ……」

 射概の声に怒気が混じる。猛獣の唸り声のような空気の振動を狩野は笑い飛ばす。

 「あんたにどんな理由があろうが俺は超能力者《あんた》が許せねぇ、どんな大儀があろうがここにいていい理由にゃならねぇ。もしあんたが、普通の方法で脱獄したのなら俺はあんたを追わねぇ、警察に任せるさ。だけどな、あんたは超能力で外に出た。それはあんたの驕りだ。特権行為だ。俺はそいつをぶっ潰す!」
 「ガキが、てめぇは何もわかってねぇ。自分の怒りだけで周りが見えてねぇ」
 「怒りの原因が何言ってやがる!」

 狩野が一歩踏み出す。墓地の砂利が音を立てる。

 「俺があんたを捕まえるか、あんたが逃げるか。予知能力者はなんて言ってた?」
 「さぁ、どうだった……かなぁ!」

 狩野が射概の影に飛び込もうとした瞬間、目の前に煙草の火が飛び込んでくる。
 とっさに閉じた狩野の瞼を煙草の火が焼く。
 それでも怯まずに狩野は腕を伸ばすが、その先にあるはずの射概の姿は忽然と消えていた。

 「畜生っ!瞬間移動か!追うぞ!」

 走り出した狩野の手を真名が掴んで止める。

 「狩野さん!無駄ですよ!」

 さっきまで黙って立っていた真名が大声で叫ぶ。
 苛立つ狩野はその手を振り払い、睨みつける。
 血走った眼に睨まれて、真名は遠慮がちに口を開く。

 「あ、あのですね……射概さんを追っても、捕まえられないと思うんです」
 「なんでだよ」
 「いや、だって見つけたって今みたいに瞬間移動を使って逃げられちゃうわけじゃないですか。瞬間移動できないようにしないと、捕まえたって逃げられちゃうじゃないですか」
 「………………」

 真名の言うとおりだった。
 いくら射概を追い詰めたところで、いつでもどこにでも移動できる――瞬間移動の能力がある限り、縛ろうが閉じ込めようが逃げられてしまう。
 瞬間移動できないようにする。その手段がなければ、どんな手を打とうとも全てが無駄で徒労に終わる。

 「……え?もしかして狩野さん……気付いてなかったんですか?」

 気付いてなかった。怒りに任せて射概を追うことしか頭に無かった。
 狩野の額を汗が伝う。

 「え……?ホントに?か、狩野さん……狩野さんヤバくないですか?……まじ?やば」

 わざとらしく驚いた顔をする真名の頬を、狩野は力任せに両手でひっぱる。

 「てめぇ、クソガキがぁ、そういうことは早く言えよ」
 「ふぅひゃい!らってひふいへるもんらと思ふりゃりゃいれすか」
 「あぁ?何言ってんのかわからねぇなぁ、ハッキリ喋れ」
 「らって、気付いてるもんだと思うじゃないですか!」

 八つ当たりはんらい!と叫ぶ真名から狩野は手を下ろす、そのままがっくり肩まで落とす。
 うなだれる狩野の様子を、真名は摘まれていた頬をさすりながら見つめる。
 すると、力なく落とされた狩野の肩が小刻みに震えだす。
 怒っているようにも笑っているようにも見えるそれは、その幅を次第に増していき――

 「やってられっかー!」

 ――爆発した。

 「あぁ、めんどくせ!やってらんね!もう、風呂入って寝る!」

 狩野は叫んで、おもむろに携帯を取り出す。

 「はろー?引き篭もり少年。近くの温泉宿探せや。場所は……」

 ミハエルの『急になんなんだよ』といった抗議の声が真名のところまで聞こえてくる。

 「うるせっ!俺ぁ、もう温泉入って酒飲んで寝るんだ!」
 「あ、あの~」

 どんどん話を進めようとする狩野に、真名は疑問を投げかける。

 「なんだよ?」

 めんどくさそうに振り向く狩野に真名はおずおずと尋ねる。

 「あ、あの……帰らないんですか?」
 「もう疲れた。めんどい。運転だりぃ」
 「えぇ……じゃぁ、どうするんですか?」
 「あぁ、適当なとこに泊まる。今からガキに探させっから」
 「えっ!あ、あの、私、明日学校……」
 「休めうんなもん」
 「泊まる準備とか……その……換えの服とか……」
 「買えばいいだろ!ったく、うるせぇな。俺ぁ、聖徳太子じゃねぇんだよ同時に二人と喋れるか!黙ってろ!」

 言って狩野はミハエルとの通話に戻る。真名は声を出せずに口をパクパクさせる事しかできない。

 (え、だって泊まりって……狩野さんと私が、二人で。そそそそんな狩野さんは上司で私は部下で……でも温泉宿に二人で泊まるって、なんかそういうことっぽいよね。そういうことだよね?え?うそ、そんな)

 頭に血が上っていくのを感じる。真名は真っ赤になっているだろう顔をペタペタと触る。すごく熱い。

 「あぁ、二人だ。予算は問わねぇ。景色?そりゃいい方がいいな」
 (景色がいいところでムードを盛り上げる気だ!あわわわわ)

 二人で景色を眺めているシーンを想像して、顔が熱さを増す。

 「ん?あ、あぁ」

 ふと狩野の視線が真名の首筋、肩、わき腹にと順に注がれていく。

 (ねっ狙われている!私の体をそんなにじっくり眺めて!あんなことやそんな事を想像しているに違いない!いや、ケダモノ!)
 「そうだな。露天風呂付きの個室がいいな」
 (露天風呂付き!もももしかして一緒にははは入ったりとか)

 湯気が出そうなほど顔が熱く、頭がクラクラするほどのスピードで心臓の音が響く。

 「おう。いいなそこ。そんじゃそこの露天付きを――」
 (流れに流されちゃダメよ、真名!で、でも、もし狩野さんが強引に迫ってきたら……)
 「――二部屋」

 急激に、熱が冷めていくのがはっきりわかる。

 「よし、行くぞ……ってどうした?」

 狩野が振り向くと、真名は落胆や諦観の入り混じった複雑な不満顔をしていた。

 「いえ、別に……なんていうか狩野さんて問題があるんじゃないかってたまに思います」
 「あぁ?なんだよ急につーかテンション低いなー」
 「若くて可愛い超絶美少女の女子高生とお泊りなんですよ?男としてなんかこう、ないんですか?童貞ですか?ヘタレっすか」
 「自分で美少女とか言うなっつーか何を発情してやがんだクソガキが!ガキに興味はねーよ。十年早ぇ」
 「そうですよね。狩野さんて熟女好きですもんね」
 「大人の女な!ババァは好きじゃねぇよ!」
 (まぁ、そんなことだろうとは思ってたけど)

 歩き出した狩野の後をついて行きながら、真名は溜息を吐く。
 狩野が自分の事など眼中に無いのはわかってる。間違いなどあるはず無いと信用もしている。それでも子ども扱いで何とも思われないというのは年頃の女の子としては面白くない。

 (私だけ変に意識して馬鹿みたい)

 真名は理不尽な怒りが湧いてくるのを感じたが、ホテルに到着し、豪華な部屋に感嘆し、部屋に運ばれてきた夕食に舌鼓を打ち、部屋つきの露天で人の目を気にせずにゆったりと湯船に浸かる事ができたため、柔らかい布団に包まるころにはすっかり忘れて、幸せな気分で眠りに入った。
 だから真名は気付かなかった。自分達が追われていることに。


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