パソコンの悪魔G
 悪魔が“あおくろ”に制裁を加えた後、優乃に経緯を説明して、おそらくはこれで大丈夫だろうと話し合い、とりあえず様子を見る事に決めた。
 悪魔は、もうしばらく魔界に残って最後の詰めをすると言っていたが、話を聞く限り、すでに“あおくろ”は充分悲惨な状況に置かれていると思えた。
 結局、悪魔の力技での解決になってしまったのが少し不満だったが、目的は達成した。
 良子は今回の件が終わったのだと思っていた。

 「まさか、その三日後に誘拐されるとは思わなかったわ」

 良子は下校途中にいきなり車に押し込まれ、この場所に連れてこられた。
 縛られたりして、体の自由を奪われているわけではない。
 良子が暴れたところでなんなく押さえ込むことができるのだろう。
 実際、良子を囲んでいる男たちは荒事に慣れている雰囲気があった。
 良子の体に緊張が走る。恐怖で体が強張る。
 それでも勇気を振り絞って、正面の男“あおくろ”を見据える。

 「それで?こんな所に連れてきてどうするつもりなの?」
 「へぇ、驚いた。随分、肝が据わってるんだな。さすが、天城のお嬢様」

 そんな事は無い。今も良子の足は恐怖で少し震えている。それをわかっているうえで“あおくろ”はニタニタと笑っている。

 「どうもしないよ。今のところはね。アンタ、あの天城グループの娘なんだってな。アンタの親父さんが金を振り込んでくれるまでは、さっき言った通り愚痴でも聞いてやってくれよ」
 “あおくろ”の言葉を聞いて、良子は気が抜けてしまった。
 なんだ、そんな事か。
 身代金目的の誘拐なんてわかりやすい手段をとってくるあたり“あおくろ”は相当せっぱ詰まっているのだろう。
 良子は“あおくろ”の足元に、転がされた自分の学校鞄を見つける。
 こんな時のために、良子の学校鞄にはGPS装置が搭載されていた。
 そんなことにも気づかないような、見る限り計画性の欠片も感じられない犯行では、素人目から見ても失敗するのは明らかだった。
 同じ誘拐でも良子が七歳の時の犯人のほうがよっぽど計画的で恐ろしかった。
 それに、例えGPSが無かったとしても、父に連絡が行っているのなら何の問題も無い。
 良子は天城グループの一人娘なのだ。娘に危害を加えられて父が黙っているはずが無い。天城グループの全勢力をもって叩き潰すだろう。
 七歳の良子を誘拐した犯人は、それこそ生きているのか死んでいるのかさえ幼い良子は教えてもらえなかった。知らないほうがいいこともある。
 ある意味、悪魔より恐ろしい人間を敵に回してしまった“あおくろ”に良子は同情を禁じえなかった。
 気を抜くことはできないが、“あおくろ”の目的を聞いて、少しは心の余裕が生まれる。
 すると、別の疑問が浮かんでくる。どうして“あおくろ”を破滅に追い込んだ相手が良子だと判ったのだろう。SNSでは良子は出鱈目の情報しか入力していないはずなのに、天城の娘であることまでばれてしまっている。

 「アンタのせいで、エライ目にあったよ。それこそこの三日間、生きてる心地がしなかったね。アンタのせいで俺らもう、日本にはいられなくなっちゃったの。わかる?だからさ、アンタの親父さんにこれからの生活費を出してもらわないとさ。アンタのせいだよ?アンタが何を思ったか、俺らのビジネスを台無しにしてくれちゃったからさ」

 言っていた通り“あおくろ”はネチネチと愚痴り始めた。
 “あおくろ”は自己を省みず、全て他人のせいで、自分勝手な愚痴を垂れ流す。
 神経質で執拗になじる様な“あおくろ”の愚痴に良子は思わず反論してしまう。

 「何がビジネスよ!女の子を騙して、脅して!ただの犯罪行為じゃない!」
 「あぁ?何言ってんだ?てめぇ」

 “あおくろ”の顔が歪む。
 犯人を刺激するのは得策ではない。どちらかといえば現状、時間が解決してくれるのであれば大人しくして時間を稼ぐべきであり、犯人を刺激するなどするべきではない。
 だけど、良子の勝気な性格が、それを許さなかった。
 自分勝手な“あおくろ”の意見。人の悲しみや苦しみなんか鼻で笑って、自分の都合に無理矢理従わせる。そんな人間を許せなかった。
 そんな人間に傷つけられ、利用された優乃の気持ちを考えたら悔しかった。屈辱だった。

 「有馬さんを襲って、写真や映像を撮って、それで脅して、追い詰めて、無理矢理、体を売らせておいてよくそんな被害者面ができるわね!自業自得じゃない!私は貴方を止めるため、有馬さんを助けるために行動したにすぎない!胸に手を当てて少しは反省したらどうなの?」

 怒りで、少し涙目になりながらも良子は言い放った。
 敵に囲まれた圧倒的に不利な状況の中、自分の意志を、正しさを良子は貫いた。
 良子の叫びを聞いて“あおくろ”は心底不思議そうに首を傾げる。

 「は?何言ってんの?有馬……優乃、ユウを脅す?俺が?写真で?そもそも、最初に誘ってきたのはユウの方で、俺は襲ったりなんかしてないぞ?」
 「え?」

 “あおくろ”の思わず口から出てしまったといった感じの素直な疑問に、今度は良子が疑問を浮かべる番だった。

 「しらばっくれないで!襲って撮った写真で有馬さんを脅して、援助交際させてた時の写真も盗撮して、送りつけてきたって、だから逆らえないって彼女泣いてたのよ!」
 「いやいやいや、胸に手を当ててみたけど、そんな事してないって、むしろそんな手があったのかって感心したぐらいだ」

 なぁ。と“あおくろ”は取り巻きの男達に同意を求める。
 頷く男達を見て、良子は悪夢の中に迷い込んでしまったような非現実感を感じた。
 信じていたものが崩れていく感覚。足元から力が抜けていく感覚。
 何かがおかしい。

 「アハッアハッアハハハハハハハハハハハハハハハハハ!なるほどね!してやられたぜ!」

 なにか思い当たったのか、“あおくろ”が突如、狂った様な笑い声を上げた。
 “あおくろ”は、頭の中が疑問でいっぱいの良子の前まで近づくと、迷いに満ちた良子の瞳を覗き込むように顔を近づける。

 「俺ら二人共、ユウ、有馬優乃に騙されたんだよ。使ってたつもりが、アイツに上手く使われてたんだ!アイツがアンタに言ったことは全部嘘!悲劇のヒロイン気取りのアイツの妄想。アンタ、虚言癖って知ってる?俺もあんま知らないし、なんで嘘をつくのかわかんねぇけど、どうなんだろうなぁ。アイツの場合、常に可哀想な自分、不幸な自分を演出してたいんだろうな!ドMなのか構ってちゃんなのかはわからないけどさ。アンタはそんなアイツの自分を騙すための嘘、言い訳に踊らされたってわけ。俺にとっちゃいい迷惑だ」
 「う……嘘……」

 良子は“あおくろ”が何を言っているのかわからなかった。信じられなかった。
 表情が抜け落ちていく良子の顔を見ながら“あおくろ”は自嘲するかのように壊れた笑みを浮かべる。自棄になった人間の怒りに満ちた笑み。

 「嘘じゃないって!嘘つきは優乃!思い出してみろよ!例の脅迫写真、一枚でも見せてもらったことがあるか?考えてみろよ!何で、俺を破滅させた人間がアンタだって、俺は知ることができたんだ?」

 “あおくろ”の言葉に良子は衝撃を受ける。
 疑問には感じていた。悪魔が制裁を加えてから“あおくろ”が行動に出るまでが早すぎる。なぜ、身元も含め、良子が“あおくろ”を破滅に追い込んだ相手だとバレたのか。
 “あおくろ”の話が本当なら、一つの推測が成り立つ。その推測通りなら、全て説明ができる。だけど、まさか。

 「そうだよ!アンタのことは優乃に聞いたんだよ!何か知らないかって連絡したらあっさり教えてもらえたぜ!アンタの仕業だってさ」

 良子の表情を読んだのか“あおくろ”が推測どおりの裏側を暴露した。
 良子は口元を押さえる。胃液が逆流するような気持ち悪さを感じる。
 何が正しくて何が間違っているのか。怖い。人を信じることができない。気持ち悪い。信じることができない世界は恐ろしく、崩壊していて、自分すらも信じることができない。
 心細さに身を縮こまらせる良子に、影が覆いかぶさる。

 「それにしてもいい案を聞いたよ。アンタを輪姦して、脅迫する。アンタが従わなければ、アンタが泣き叫びながら嬌声をあげる恥ずかしい映像をネットに流してやるよ。道連れさ。アンタのせいで俺は破滅だ。責任とってくれよぉ」

 “あおくろ”は嫌らしく笑うと良子をソファに押し倒した。

 「いや!離して!」

 押し倒されて、混乱から醒めた良子は、危機的状況を理解して青ざめた。
 手足を精一杯振り回して抵抗するが“あおくろ”に力づくで押さえ込まれてしまう。
 頬を思いっきり叩かれる。心を折るための暴力。良子の目からは涙が滲む。

 「おいおい、せっかく綺麗な顔なんだから、殴るなら腹にしろよ腹」
 「お前、こないだ女の顔さんざん殴っといてよく言うぜ、最後にゃ殴りすぎて化け物みたいにしちまったじゃねぇか」
 「あぁ、ありゃ萎えたな。つうか、今日は次、俺な。壊される前に楽しませろよ」

 笑いながら、良子を男たちが見下ろす。
 怖い。怖くて力が入らない。それでも身を守るように腕を縮こませる。
 二度目の平手。
 痛い。怖い。体が震えて、呼吸が浅くなって、いうことをきいてくれない。
 それでも、良子は“あおくろ”を睨みつけた。

 「おぉ、いいねぇその目!いつまでそんな目をしてられるかな?アハハハハ」

 “あおくろ”が良子の精一杯の抵抗を笑う。なけなしの勇気を嘲笑する。
 悔しい。涙が溢れてくる。こんな奴らに自分は踏み躙られてしまうのか。
 悔しい。自分は困難を乗り越えたつもりだった。一つの事件を解決し、人を救ったつもりだった。だけど、私がしたことは何だったのだろう。私は無力だ。
 何もできない。
 何も成せない。
 目の前の危険をどうすることもできない。無力な自分。
 絶望が良子の体を支配する。
 怖い。嫌だ。こんな奴らに好き勝手にされたくない。誰か。誰か。
 助けて。

 「あんだテメェは!どっから入ってきやがった!」

 取り巻きの一人が声を上げた。
 その場の全員の視線が不可解な闖入者に向けられる。

 「おほぅ、良子ちゃんってば結構エロい下着履いてんだねー。クマさんパンツとかなのかと思ってたよ!」

 良子の真上、ソファの背もたれ部分の上に座る闖入者が軽薄そうで楽しげな声を上げた。
 良子は思わず、捲れ上がっていたスカートの裾を掴んで隠す。

 「なっ、貴方どこから」
 「何処からって、地獄から?悪魔だし」

 真っ赤になって訊ねる良子に、闖入者――悪魔はへらへらと笑いかけていた。

 「何わけわかんねぇこと言ってんだテメェ」
 「あー、ちょっと君、黙ってて」

 怒声をあげる“あおくろ”を悪魔は気軽に手で制した。
 瞬間移動してきたように突如現れた悪魔のあまりの軽い言動に“あおくろ”達は対応を決めかねている。
 そんな“あおくろ”達を気にもせず、悪魔は良子に笑いかける。

 「いやぁ、良子ちゃんの“助けて”って心の叫びが聞こえたから地獄の底から速攻できてみたよん」

 悪魔の言葉に、良子の胸の奥が熱くなる。
 助けに来てくれた。
 助けに来てくれた嬉しさと安心感で、良子の瞳には先程とは違う涙が溢れる。
 そんな良子を見て悪魔は笑う。
 口を裂けんばかりに釣り上げ、獲物を見つめる捕食者のように目を見開き、凄惨に笑う。




 「助けて欲しけりゃ、魂をよこしな良子ちゃん」


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